名前
Riku Kitagawa
出身高校
大阪桐蔭高校
進学先大学
Indian Hills Community College
学年
2025年留学
留学先
アイオワ州

一言コメント

周りの人とは違う選択、あえて厳しい道を選んだ限りは全力でやり切ります。そして野球をやっている限り、プロ野球というステージに立てるように野球はもちろんですが野球が出来なくなったことも考えて英語力はもちろんですが、勉強もしっかり成績とります。

なぜ野球留学しようと思ったのか?

もともと僕は日本の大学に行こうと思っていました。しかし、高校2年生の秋ごろに肘を怪我してしまい、最後の1年間はリハビリとできる範囲のトレーニングだけとなってしまい、試合にも出れず、悔しい1年間を過ごしました。日本の大学からの話も無くなってしまい、自分が行きたいと思う日本の大学はどこもありませんでした。このままの気持ちで日本の大学に進学しても自分は成長できないと思い、みんなと違う環境でプレーすることに挑戦したいと思い、アメリカへの大学へ野球留学を決めました。

留学前の英語の勉強や野球の練習はどうだった?

留学前の英語の勉強は地獄でした。僕は今まで野球しかやってこない人生で、まして英語なんか「おれは日本人やから英語なんかいらんわ」と思っていたので、英語なんか本当になんも分かりませんでした。ですが、8月にセレクションを受けてから、高校の練習参加しながら、高校の先生と英語の勉強スタートさせ、2月から千葉のシェアハウスで毎日の英語漬けの生活がスタートしました。その時は、一旦野球の練習をやめ、部屋に野球道具があると触ったり、バット振りに行ったりと集中出来ないと思い、野球道具すら最初は持ってきていませんでした。毎日しっかり今日やった英語をコツコツと繰り返せば、少しづつではありますが、英語は身についていき、大学の授業に近い文章も読むことができたり、ライティングでもパソコンを使ってエッセーを書くこともできるようになりました。

練習面でいうと、シェアハウスの横にある室内練習場を使ったり、近くの球場を使った練習などを全体では行っていました。アメリカに行くと決め、高校時代のバッティングではアメリカの動くボールに対してうまくアジャストできないと思い、自分の感覚を壊して、1からの取り組みをしていました。今までとは全く違う感覚の中での練習だったので、考えてバッティングするのが楽しかったです。田久保コーチにもサポートして頂いて、いいアドバイスなどを頂きながら練習することができました。

留学中の目標と将来どんな自分になっていたいか?

僕は、外国人として異国の地で野球や勉強をさせて頂くので、まずはしっかり英語力をつけて、色んな人とちゃんとコミュニケーションを取れるように頑張ります。勉強では常にいい成績をとる、勉強でも奨学金を貰えるように頑張ります。野球ではレベルの高い四年制の大学に行けるように、短大でまずはしっかりと結果を残します。そしてレベルの高い四年制の大学に行き、右バッターの日本人で今までで1番いい結果を残せるように頑張ります。

将来は野球、それ以外の仕事に関係なくしっかりお金を稼いで、高校も高い費用を出して進学させてくれたり、野球留学もさせてくれたりと、ここまで好きにさせてくれてる親にしっかり恩返しができるようになります。そして外国人彼女を捕まえて、結婚します。

名前
Koyo Taniguchi
出身高校
日本大学豊山高等学校
進学先大学
Citrus College
学年
2025年留学
留学先
カリフォルニア州

一言コメント

一度きりの人生。アメリカの大学へ野球留学して良かったと思えるように、後悔しないように日々チャレンジしていきます。

なぜ野球留学しようと思ったのか?

僕は、親がアメリカで働いていたのと従兄弟がアメリカに住んでいて、小さい頃からアメリカに行く機会が多かったことから、将来は英語でコミニュケーションがとれたら良いなと思っていました。ですが、中々英語に興味があっても手を付けられない状態でいました。しかし、高校野球が終わって進路の話になった時に、アメリカの大学で野球をしながら、大学卒業ができるチャンスがあると知り、自分の夢へチャレンジしたいと思いました。

留学前の英語の勉強や野球の練習はどうだった?

中学と高校と、学校で英語は勉強してきたつもりで苦手ではなかったんですが、蓋を開けてみれば文法もボロボロだし、単語の量も壊滅的でした。現実の英語力を知れたことで、自分の英語の勉強のスイッチが入り、最初は、文法や単語を隙間時間に見たり、そこから自分の意見を話したり、エッセイで300字を書くなど、実践で使えるように意識しながら、1日の時間を無駄なく過ごすように繰り返していきました。自分は2回で、マイベストスコアなしにTOEFLスコアで51点をとることができました。

野球では、高校野球で成功したプライドは捨てて、自分で考えて練習しました。それは、アメリカの環境を想定して、自分でも課題に取り組んでいきながら、わからないことや直さないといけないことを、投げ方から打撃のフォームまで田久保コーチと話し合いながら練習していきました。そのおかげで、実践に近いレベルまで上げることができ、留学してからも継続して磨いていこうと思います。

留学中の目標と将来どんな自分になっていたいか?

野球では自分の特徴を最大限に生かしてプレーしていきたいです。勉強ではGPA3.0を目標にしていきたいです。そのためには自分から積極的にコミニュケーションをとり、自分に合った専攻科目で将来の職に生かしていきたいです。編入時には、目標のDivision1の大学に編入して、留学させてくれた親へ結果で恩返し出来るように頑張ります。

名前
Haru Yamazoe
出身高校
習志野高等学校
進学先大学
Indian Hills Community College
学年
2025年留学
留学先
アイオワ州

一言コメント

人一倍気合いを入れて頑張ります!

なぜ野球留学しようと思ったのか?

高校2年の時まで、日本の大学に指定校推薦で行こうと決めていました。ですが、自分の夢で「人より多く稼ぐ」という夢がありました。そのとき、自分の学年では、ほぼ全員が日本の大学に進学予定で、留学に至ってはゼロでした。また、高校の成績も良いと言える成績ではなかったのでいける大学は限られていて、このままでは、もし大学に行けて卒業できても、何の武器もなく周りと同じ結果だと思い、将来の自分の武器となる力をつけるためにアメリカの大学へ野球留学を決断しました。

留学前の英語の勉強や野球の練習はどうだった?

自分がしっかり英語の勉強を始めたのは岡野さんとの勉強会が始まった10月からでした。英語が始まった時点では、1番英語ができず、中学レベルの英文法や単語もわからず、英語もかけない、読めない、話せないという知識はゼロの絶望からのスタートでした。今まで勉強してこなかったツケが回ってきてると思ったので周りよりも気合いを入れて、取り組みました。岡野さんとの英語と、家ではねじりはちまきをして、今日やった英語を繰り返し復習をして、「その日の英語が自分が使えるようになったか」という視点で、人生の中で一番工夫をして勉強して、TOEFL1回目のテストで46点を取ることができました。

4月から始まった野球の方では、球場と室内練習場でトレーニングや野球の技術的な練習、そして実践に近い練習まですることができました。1人だったらサボりがちな練習も、同じ留学を目指すメンバーと練習することで、メリハリがあある中で練習ができたと思います。また、田久保コーチからは、技術的に悪い癖を治すのに、丁寧に指導していただき、たるんだ体も鍛え直すことができました。

留学中の目標と将来どんな自分になっていたいか?

留学してからは、野球と勉強どっちもで成績を出して返済不要の奨学金を獲得して、アメリカの4年制大学を卒業したいと思っています。そして、将来は周りのみんなが驚くようないい会社に入り、自分の夢である「人より多く稼ぐ」を実現したいと思います。

名前
Takato Nishira
出身高校
関商工高等学校
進学先大学
Hesston College
学年
2025年留学
留学先
カンザス州

一言コメント

普通の道を選ばず、あえて厳しい野球留学の道を選んだ自分に誇りを持てるように、人生を変えるきっかけにします。

なぜ野球留学しようと思ったのか?

私は、普通の人と同じ人生を生きるくらいなら、どんなことにもチャレンジをした方がマシだと思って生きてきました。高校野球では思うような結果は出せず、このまま野球を終わらせたくないという気持ちが強く残りました。そんな時、アメリカの大学へ野球留学するという広告を偶然見つけました。最初は、自分なんかにできるのかという不安もありましたが、それ以上に、このチャンスを逃したら一生後悔すると感じました。そして、8月のセレクションに参加し、アメリカへの野球留学という経験を自分の強みにできると思い、決意しました。

留学前の英語の勉強や野球の練習はどうだった?

私の通っていた高校は工業高校ということもあり、英語の授業は中学レベルに近い内容で、単語帳すらありませんでした。そのため高校に通っている間は中学レベルの文法や単語、岡野さんからいただいた単語帳をひたすらやりました。2月からシェアハウスに入ってから4月末までは平日は4時間、岡野さんと英語の勉強をし、帰宅しても今日やったことを何度もできるまで繰り返しました。また、土日や空いている時間も自分で復習したり、単語を覚えたり、工夫をしながら英語に取り組みました。繰り返す量と時間を意識しながら、実際にすぐに使いこなせるようになるまで繰り返す練習をすることで、1回目のTOEFLで47点を出すことができました。

4月からは野球の練習がスタートしました。シェアハウスの隣にある室内練習場や球場を使ってトレーニングと野球の練習をしました。田久保コーチからは、自分が高校時代に意識していなかった野球への考え方やピッチングの体のメカニクスなどを教わりました。そして、自分の課題と必要な練習を見定め、工夫しながら繰り返すことで、改善に取り組むことができました。

留学中の目標と将来どんな自分になっていたいか?

留学中の目標は、勉強と野球の両立で結果を出すことです。まずは最初の2年間で、GPA3.8以上、野球では防御率2点台を目指します。どちらも中途半端にせず、全力で取り組み、両方の分野で奨学金を獲得することが目標です。

将来は、この野球留学という貴重な経験をさせてくれる両親にしっかりと恩返しができるように、社会に出てからも結果を出し、お金をたくさん稼ぎます。野球留学で自分にしかできない経験を積み、それを強みに変えて、誇りを持って生きていけるような人間になりたいと思います。

名前
Rentaro Komatsu
出身高校
水戸啓明高校
進学先大学
West Hills Community College
学年
2025年留学
留学先
カリフォルニア州

一言コメント

みんなとは違うアメリカの大学という厳しい選択肢を選んだ限りは、文武両道で四年間必死に頑張り、応援してくれてる人にいい結果で恩返しをします。

なぜ野球留学しようと思ったのか?

僕は小学校6年生の時に世界大会でアメリカに行きました。その時、日本の野球とは違う自由にいきいきと野球をやっていて、とても楽しそうに野球をやっている印象を受け、将来はアメリカでも野球がしたいと思うようになりました。高校野球を終え、大学進学について考えだしたころ、このまま推薦で日本の大学野球に進学しても、1年生は雑用やなかなか試合や練習に参加できないこともあると聞き、一方で、アメリカの大学野球は学年関係なく、結果を残せば試合に出ることができ、最初からみんなにチャンスがあると知ったことで、「アメリカで野球がしたい」と改めて挑戦してみたい気持ちが、アメリカの大学へ野球留学を選んだきっかけとなりました。

留学前の英語の勉強や野球の練習はどうだった?

10月から週2回のペースで英語をスタートしました。正直、野球しかやってこなかった人生で、勉強に真剣に触れることもなかったので、最初は何を言ってるか全くわからず、苦痛でしかありませんでした。最初は、英単語を覚えるのに時間が倍以上かかったし、英文法をやるにも同じくらいかかりました。それでも実際に使おうとすると、すぐに出てこないので、家で何回も声に出して繰り返したり、学校の先生に聞いたりしながら反復することで、この半年間で英語が少しずつですが喋れるようになったし、英文でエッセイで300字以上書けるようになったし、英語で言ってることが少しずつ聞けるようになりました。

4月から練習がスタートし、シェアハウスの横の室内練習場や球場を使い、実践練習とトレーニングまで幅広く教えていただきました。高校の時はサイドだったけど、肘の負担が大きいためオーバースローに急遽変えました。他の選手に比べ最低限やらなきゃいけないことが多かったです。なので球場でしかできないことは球場でやり、ランニングやトレーニング、ピッチングフォームの確認は家でやってました。僕は、早いボールが投げれるわけでないので、制球力を上げるために試行錯誤して取り組み、田久保コーチにもたくさんサポートしていただきながら練習することができました。

留学中の目標と将来どんな自分になっていたいか?

留学してからは、英語を完璧にします。アメリカに行く限り、全く話せないで帰ってくるのはいくら大学を卒業したとはいえ、大学留学した意味がないと思います。そのため、チームの仲間や色々な人と積極的にコミュニケーションを取ります。勉強面では、勉強だけで奨学金をもらえるくらいの成績を残します。そして、短大から4年大学へ編入するときには、NCAAのD2、D1の強い大学に編入し、レベルの高いチームでプレーして、そのチームのエースって言われるように頑張ります。将来は、アメリカの大学へ野球留学、そして自分のやりたいことをやらせてくれた親へ感謝として、自分で稼いだお金で、親がやりたいことや好きなことをプレゼントできるように頑張りたいと思います。

名前
Keisuke Shibata
出身高校
二宮高校
進学先大学
West Hills Community College
学年
2025年留学
留学先
カリフォルニア州

一言コメント

アメリカでは今まで自分が逃げてきたことに正面から向き合い、自分の成長に必ず繋げ、4年後に日本の大学生に負けない絶対的な自信と体力を身につけていきたいと思っています。

なぜ野球留学しようと思ったのか?

私が野球留学を決めた一番の理由は、日本にはない環境「日本語が通じない環境」に身を投じて野球を通して自分が人として今よりも成長できると思ったからです。
私はもともと高校3年生の9月まで指定校推薦で日本の大学に入学し国際系の学部で半年ほどの留学を考えていました。しかし、よく考えた結果、英語が話せる人は社会に五万といると思ったのと、自分があまり将来を見据えずに選んだ大学に行き、高校のときのように特に何も考えず、勉強もせず自分の強みもなしに大学を卒業して、社会に出たときに自分の理想の年収や生活ができるわけがないと思い、今がこれまでの自分と変わるときだと感じました。今、勉強をちゃんとしなければ将来、勉強をしてこなかったことを絶対に後悔すると思いました。そして指定校推薦を取り消し、文武両道を必要とされる野球留学を決めました。

留学前の英語の勉強や野球の練習はどうだった?

私の通っていた高校は、とても頭がいいとはいえない学校でした。そして、私は今までちゃんと勉強をしたことがなく、勉強をすること自体が苦手でした。なので最初は英語の勉強に不安を感じていたのですが、岡野さんとの勉強が始まる前に基本的な英語の単語帳を一冊終わらせていたので簡単な文は少し理解できていました。しかし、10月から岡野さんと飯田橋で週2回の英語を始めたときに、今までで見たことのない単語や、自分が理解できていなかった文法が多かったのでTOEFLの問題に絶望する日々でした。しかし家に帰ってからも岡野さんからもらった単語を覚えてその日の英語の復習をして、まずは日本語で文をわかりやすくつくり、それを英語になおす作業を繰り返し、その日学んだことをアウトプットしました。すると、最初は7時間あってもできなかったことが5時間以内でできるようになり、1月からは徐々に慣れていき問題への取り組みもはやくなっていきました。2月からはシェアハウスに住み八千代で英語が始まりました。毎日、繰り返し復習をして英語の土台をつくっていきました。そして最初は聞き取れなかった英語の音が少しずつ耳に入ってきたり、30分で70字程度しか書けなかったwritingも200~300字程度書けるようになりました。誰が読んでもわかりやすいように文を書くことを意識して、TOEFLでもwritingでスコアが大幅に上がりました。

そして、4月から野球の球場練習が始まりました。自分は高校3年間帰宅部だったので、最初は技術面で苦労をしました。しかし田久保コーチに股関節などの細かい体の部分の使い方から様々な投球ドリルを教わったり、留学に行くメンバーにもアドバイスをもらいながら練習をしました。指導を受けながらもそれを自分なりに工夫することで徐々に良くなっていきました。まだまだコントロールや練習への取り組み方など未熟なことが多いのですが、それを知れたことでまだまだ改善し自分を高めれると思います。この半年間で学んだのは、野球だけではなく、「自分が周囲からどう見られているか」といった野球以外の面についても、客観的に自分を評価する大切さを学びました。

留学中の目標と将来どんな自分になっていたいか?

短大ではGPA3.5以上、防御率3.00以下を目標にして、4年生大学編入時に勉強と野球の両方で奨学金付きの編入を目指せる選手になることです。野球留学という貴重な経験をさせてもらうからには、悔いを残さず、勉強と野球を全力でやりきるアメリカ大学生活にしたいです。
大学卒業後は、アメリカでの多国籍社会で経験することを活かし、3言語以上を習得するという自分の目標を達成して、企業から必要とされる人材になり、社会の最前線で活躍できる人になりたいです。

名前
Hikaru Mikami
出身高校
船橋高校
進学先大学
North Central Missouri College
学年
2024年留学
留学先
ミズーリ州

一言コメント

たとえどんな選択をするとしても、「アメリカでの4年間を全力で過ごすこと」が何より大事になると思います。そして、どんな選択をしたとしても社会に良い影響を与えられるような人間になりたいです。

なぜ野球留学しようと思ったのか?

もともと将来の夢があって行きたい学部があったが受かる気がせず、高校2年生のうちに諦めてしまいました。大学に行くつもりで考えていましたが、特にやりたいことも見つけられなかった中で、アメリカへの野球留学の存在を知りました。もともとメジャーリーグの試合を見たりするのも好きだったし、他人と違う経験と武器を身につけられるかもしれないと思ってアメリカの大学に行く事を決意しました。

留学前の英語の勉強や野球の練習はどうだった?

両親にアメリカの大学に行きたいと言っても本気にしてもらえず、高校野球を引退してから2〜3ヶ月くらいは中途半端に受験勉強をしていました。野球に関してもあまりやれず、11月に肘の手術をしてから結局年明け2月くらいまでほとんどボールを投げませんでした。
実は、学校では英語はいつも赤点でしたが、岡野さんとみんなより早い段階でTOEFLの対策を始めて12月には56点を取れました。ただ、そこでなんとなく慢心してしまい3月のテストではなんとかMy Best Scoreで61点とあまり伸びませんでした。

2回目のTOEFLが終わった頃から田久保コーチのレッスンを受けたり、週2回の八千代球場での練習がスタートしました。最初は、股関節と肩関節をうまく使えるようにすること、ちゃんと走り込むこと、というシンプルなテーマの練習からスタートして、だんだんピッチング等もするようになりました。今では、部活動引退後から英語学習期間も継続的に運動するべきだったと強く思います。そして、英語学習期間でも野球の練習を続けるためにはある程度合格が見込める英語力が必要です。どちらか片方だけ集中的にやっても効果は薄いので、千葉に来てからではなく、アメリカに行くんだと決めたその日から英語も野球も全力で取り組んでください。個人的な英語学習のコツは、TOEFLのspeaking問題を例にすると、自分の回答はもちろん、読まれてる問題文も全て暗記するまで音読することです。

留学中の目標と将来どんな自分になっていたいか?

短大で文武ともに成績を残す。とにかく安定して登板の機会を得られるようになること、GPAは3.8以上を必ずとることをまずは達成したいです。4年制大学への編入ではD1の名門の大学、あるいは大型奨学金付きのD2の大学、どちらも目指せるような選手、学生になりたいです。
卒業後は、一度諦めた夢を追いかけるか別の道に進むか可能性は無限にあると思っています。卒業するまでの4年間の中でたくさんのことを学んでたくさんの人に話を聞いて進路選択したいです。たとえどんな選択をするとしてもアメリカでの4年間を全力で過ごすことが何より大事になると思います。そして、どんな選択をしたとしても社会に良い影響を与えられるような人間になりたいです。

名前
Kotaro Kuwatani
出身高校
東海大札幌高校
進学先大学
College of the Canyons
学年
2024年留学
留学先
カリフォルニア州

一言コメント

社会というフィールドに出た時に、人の上に立てる様な人間、世界で必要とされる人間になれるよう、アメリカという環境の中で、文武に頑張ってきたいと思います。

なぜ野球留学しようと思ったのか?

私が野球留学をしようと思った理由は、私の夢であるメジャーリーガーになるために一番近い選択だと考えたからです。そして、アメリカ人(外国人)投手の投げる球に対しての打席内でのアプローチの仕方やスイングについて、データや理論に基づいた指導を受けたいと考えました。また、アメリカの大学へ留学することによって、日本では学ぶことのできない実用的な英語を身につけ、自分の関心のある分野の勉強をしながら、未来の仕事の選択肢を広げることができると考えたからでした。

留学前の英語の勉強や野球の練習はどうだった?

私は小学4年生から中学3年生まで英語塾に通っており、英語は好きで、そんなに苦労しないだろうと思っていました。しかし、初めてTOEFLの問題文を見た時、自信が不安に、余裕が焦りに変わりました。岡野さんから課された課題をきちんとこなすことは当たり前のこと、プラスαで何をするかを考えて勉強しました。もちろん「熱心」に勉強していたつもりでしたが、思うように点数は伸びませんでした。2回目のテストで点数は大幅に上がりましたが、目標点に届かず、3回目のテストまでの18日間は1日10時間〜15時間、「必死」に英語の勉強に励みました。しかし、「必死」になるのが遅かったため、自分の目標の61点にはあと2点届かずに悔しい結果で終わりました。

野球面では、英語の勉強やアルバイトなど他にもやる事が多い中で、自分の課題を明確にし、その課題を徹底的に潰すこと、また、アメリカの大学野球の環境を意識して、短時間で集中して取り組むことを念頭において練習に取り組みました。週に2回のグラウンドでの練習では、田久保コーチからのご指導のおかげで守備、打撃の技術面で大きく成長する事ができたと感じています。また、4年間の野球留学を成功させるためにはどんな力が必要なのか、また留学前に日本にいる間に何をするべきなのかなど、技術面以外の助言も沢山いただき、留学1年目に向けてしっかり準備することができたと思います。

留学中の目標と将来どんな自分になっていたいか?

アメリカ大学野球最高峰のリーグNCAA Division 1の大学に奨学金付きで編入することです。もし野球で成績が残せなかった場合も、学業の方で奨学金がもらえるように勉強でも一緒に頑張ります。自分の掲げる目標のためには、どちらも安定して結果を出し続けることしかないので、常に目指す結果から、普段の過程を大事にしながら、野球も勉強もとことん打ち込んでいきたいです。そして大学4年次にMLBドラフトで指名されることが、最終的かつ大きな目標です。また、社会というフィールドに出た時に、人の上に立てる様な人間、世界で必要とされる人間になれるよう、アメリカという環境の中で、文武に頑張ってきたいと思います。

名前
Haon Tanaka
出身高校
青森山田高校
進学先大学
Indian Hills Community College
学年
2024年留学
留学先
アイオワ州

一言コメント

日々の積み重ねに細部までこだわって「やれることはすべてやった」と胸を張ることができる4年間にしたいと思います。

なぜ野球留学しようと思ったのか?

私がアメリカの大学へ野球留学しようと決めた理由は、他人と差別化のできる強みを持つためです。私は高校まで勉強をほとんどせず、野球に打ち込んできましたが、全く結果を残すことができませんでした。幼少期から他人と同じであること、目立てていないことが嫌だという気持ちがあり、自分の将来を考えたときに現状の先にある人生は満足できるものではないと思いました。ですが、大学留学という圧倒的に差別化のできる経験は、最大限努力することで必ず強みを持つことができると考えるようになりました。

留学前の英語の勉強や野球の練習はどうだった?

留学前の英語の勉強は、10月は青森駅で、そして1月から平日は毎日授業があり、そして帰宅後の課題もあるため、自制と習慣化が苦手な自分でも必ず毎日十分な量の英語に触れることを意識して過ごすことができました。。毎日、思考が停止するくらいまで頭を使って繰り返すことで、自分のキャパシティが「自分が決めた思い込み」であったことを痛感しました。自分は、他のみんなより1か月長く勉強をしたのですが、その間も岡野さんにマンツーマンでサポートしていただき、最終的に留学前の目標点であったTOEFL45点をこえ、1回目で48点をとることができました。「英語は筋トレ」で、誰でもできるようになることを身をもってわかることができました。

野球の練習は、田久保コーチのもと、週2回の球場のグランド練習があるため、投げ始めは3割くらいからスタートして、ゆっくり調整しながらでも余裕をもって準備することができました。高校の夏の大会を終え、そして4月までの勉強で運動量が落ちてしまっているところを、田久保コーチのハードワークで締め戻してもらえたり、なかなか個人では取り組まないけど必要なメニューを行うことは、集団練習のメリットだと思いました。また、高校野球引退から丸1年の準備期間があるため、自分のウィークポイントにかける時間を十分にとることができました。まだ渡米まで時間もあるので、英語、野球とバイトに時間をかけ、留学してからいいスタートが切れるように頑張りたいと思います。

留学中の目標と将来どんな自分になっていたいか?

野球留学での目標は、1,2年目で活躍し、大型奨学金でD1に進学すること、MLBにドラフトされること、いずれかは日本人で初めてサイヤングを取りたいと思っています。そのために野球だけでなく、勉強も人一倍取り組みます。ハードな目標をめざす中で、甘えは一切許されないと思います。日々の積み重ねに細部までこだわって「やれることはすべてやった」と胸を張ることができる4年間にしたいと思います。

名前
Yukihiro Kimura
出身高校
愛知産業大学工業高校
進学先大学
Citrus College
学年
2024年留学
留学先
カリフォルニア州

一言コメント

高いレベルの野球で活躍し結果を残し続け、今までの日本人の歴史やイメージを変えていきたいと思います。

なぜ野球留学しようと思ったのか?

私は、去年の7月に3年間の高校野球が終わりました。高校最後の大会が終わり、最初は、日本の大学へ進学をして、大学野球をしようと考えていました。しかし、いざ行く大学を選ぶ時に、自分の中で日本の大学野球がパッとせずに悩んでいました。そこで、たまたま広告でアメリカの大学野球留学の存在を知って、色々調べたりした結果、私はアメリカの大学で野球がしたいと思い、8月のセレクションを受け、アメリカの大学へ野球留学を決意しました。

留学前の英語の勉強や野球の練習はどうだった?

私の通っていた高校は、県の中でも頭は全然良くなく、その中でずっと野球しかしていなかったので、勉強なんてした事もなく勉強のやり方もわかりませんでした。英語も何からやっていいか全くわからないところからのスタートでした。10月からは名古屋で、1月からは千葉県の八千代にあるシェアハウに住んで、人生で初めての英語漬けの日々がスタートしました。岡野さんに勉強のやり方やスケジュールの立て方、そして英単語の覚え方や英文法のルールなどを、全て1から教えていただいて、人生で初めて勉強を継続していました。初めは、全然わからなく、正直、とても勉強が苦で、英単語もとてつもない量の単語があって本当にできるのかと不安でした。しかし、毎日英単語を覚えたり、岡野さんに教えていただいたやり方で英語を勉強したりした結果、今では単語帳1冊分完璧に覚え、英文法の使って表現する方法、自分の意見を理由と詳細を英語で説明したり、英語のライティングでパソコンを使って、200-300字以上をかけるようになる事ができました。

4月に英語のレベルを突破したことで、野球の練習とバイトをスタートさせました。野球面では、高校野球を終え、ほとんど体を動かしていないところからのスタートでした。ちょっとずつ練習とトレーニングをしながら、田久保コーチに自分の課題などの改善方法を体のメカニズムからわかりやすく教えていただきました。特に動作に対する体の使い方を知り、今までどうすれば良くなるかわからなかった事などがダメな理由などをわかりやすく教えていただいたことは大きかったです。また、個別でも田久保コーチの空いてる時間で自分の課題に取り組み、どんどん改善して行くことができました。

学ぶ大切さと、繰り返して自分のものにしていくという大事なことを身をもって体験でき、成長を感じた半年でした。

留学中の目標と将来どんな自分になっていたいか?

私は、初めに、二年制大学で打率4割を打ち、持ち前の勝負強い打撃でチームの打撃の軸になる事を目指します!そして、勉強ではGPA3.5以上を目指します。そして、レベルの高いNCAAのD1の大学へたくさんの奨学金を貰って行きます。そしてD1でも高いレベルの野球で活躍し結果を残し続け、今までの日本人の歴史やイメージを変えていきたいと思います。

名前
Teruki Kato
出身高校
東海大学付属札幌高等学校
進学先大学
West Hills College
学年
2024年留学
留学先
カリフォルニア州

一言コメント

留学中には、自分は常に活躍できる選手になる事が今の目標です。なぜなら恩返しがしたいからです。

なぜ野球留学しようと思ったのか?

それは高校野球にありました。最後の夏の甲子園に繋がる大会自分はメンバーとしてチームに貢献するつもりでした。ですがまさかの事態が起こりました。それが初戦負け。さらに自分の最終打席は代打で、バントという最悪の形で終わってしまいました。3年間の努力と毎日の練習そして、数え切れないぐらいバットを振った高校野球はこうして幕を閉じました。その時は野球が少し吹っ切れたような感じにもなりました。ですが、自分は、「この経験があったからこそ次は新しいことをしよう!」という前向きに考えるようにし、野球留学した先輩からの声からアメリカの大学で野球がしてみたいと思うようになっていきました。

そこで、まず自分が選んだのは勉強の中で1番苦手な英語でした。この先英語が出来たら少なくとも社会のフィールドに立った時に失敗はしないだろうと思ったからです。さらに野球をして、まだまだ上を目指したいという強い気持ちと、野球を通してこれからも世界中のたくさんの色んな人達と出会って、人生を楽しみたいという気持が自分の思いにはありました。この事から自分は本気で野球留学を決意しました。

留学前の英語の勉強や野球の練習はどうだった?

英語の勉強は野球を引退してからの8月から、初めて英語をスタートさせました。最初は、主語と動詞すらも分からなかったので、中学校の英文法から始めました。9月になると岡野さんが北海道まで足を運んでくれ、TOEFLに向けた勉強がスタートしました。初めて問題を渡され、その時に見た瞬間は「ほんとにやばい」と言う焦りの気持ちでいっぱいでした。ですが、野球留学で頑張りたいと決めて、そこから自分は毎日毎日、単語と文法、そしてTOEFLの対策問題をとにかくやり続けました。

高校3年生の1月に入ると、野球留学に行くみんなと合流し、田久保コーチのシェアハウスに住みながら、本当に毎日毎日、切磋琢磨しながら英語の勉強に励みました。英単語、英文法、英語でスピーキングの練習、訳す練習、リスニングにリーディングと、何度も繰り返し、本当に大変でしたが、辛い時はお互い励まし合い、分からないことがあったら試行錯誤をかさねて答えを導く。ときには寝れない日もありました。でも人生で一番勉強をしたというくらい英語を頑張りました。プラスして自分は北海道から千葉に来てから毎日神社にも行きました雨の日もどんな日も祈ることをやめませんでした。結果として、なんと1回目のTOEFLの試験を受け、自分が最初から目標にしていた45点をとる事が出来ました。神社の効果もあるかもしれません(笑)。この英語学習で、目標を決め、そこに向けて毎日やり続ける事の大切さ、自分の意見をうまく伝えるための文の構成や深み、そして岡野さんの指導により突破することが出来ました。

そして、ちょうど3月末に英語を突破してからは、球場や室内の練習場を使った野球の練習とバイトの生活をスタートしていきました。田久保コーチに、ピッチングやバッティング、そして野球への取り組みや考え方についてご指導いただきました。田久保コーチからは、アメリカのプレースタイルや打ち方、自分の良いところとダメな点を明確に伝えてくれ、そこから自分で考え常に試行錯誤を重ねながら練習に励みました。さらに、練習のない日にも、筋トレやランニングをして自分でメニューをつくりやるようにしていました。バイトも、お金の大切さやお金を稼ぐ大変さがわかり、野球とバイトと時間を意識して過ごしました。これらの経験から、留学中の頑張りにもつなげていきたいと思います。

留学中の目標と将来どんな自分になっていたいか?

留学中には、自分は常に活躍できる選手になる事が今の目標です。なぜなら恩返しがしたいからです。常に活躍できれば、今まで関わってきた人達全員に恩返しが出来ると思うし、良い報告をすればみんな喜ぶ。日本人が活躍することによって野球をしたいと思ってくれる子が多くなるかもしれないからです。自分の目標に向けて、アメリカの大学野球で文武に頑張って来たいと思います。

名前
Tetsu Nakamura
出身高校
関東一高校
進学先大学
Citrus College
学年
2023年留学
留学先
カリフォルニア州 

一言コメント

自分は大学卒業して、バリバリ稼いで、留学をサポートしてくれた親へプレゼントができるようになりたいと思っています。

なぜ野球留学しようと思ったのか?

自分は、高校三年生の夏くらいまでは野球を続けようというモチベーションが全くなくて、日本の大学にも行く気はありませんでした。しかし、そんな時に母からアメリカ留学を提案され、調べていくうちに「アメリカで野球をやってみたい!」と思い始め、相談し、野球留学に行くことを決めました。

決めた理由は、まず一つ目に、日本の野球では、1年生から色々な縛りがあり、雑用や試合に出れないことも多くあることを先輩からも聞いていて、自分がやりたいと思えなかったからでした。一方で、アメリカの大学野球を見た時に、シビアであるのはわかるのですが、アメリカの大学の選手は1年から試合に出ることができ、みんなすごく真剣に、楽しそうにやってるのがすごく印象に残りました。2つ目は野球の環境がとてもすごく誰しもが憧れる環境でやっているのを見て、自分もこの環境で野球をやりたいと思いました。そして自分もここで野球をやり切りたいと思い留学を決意しました。

留学前の英語の勉強や野球の練習はどうだった?

自分が英語の勉強を始めたのは、高校野球を8月に引退して少し経った10月あたりから週2くらいで勉強をスタートしました。検索で調べれるのですが、自分が所属する高校のスポーツコースの偏差値は40もないと思います。しかも学校が4時間で終わり、そのあと練習へ行くため、まともに勉強をしたことがありませんでした。

「英語が最初は得意だ」となぜか自信をもっていましたが、初めてTOEFLのテストの問題を見た時、「やべー全然わからない・・・」とショックを受けましたが、いい意味でこれできるようになったらかっこいいと思いました。最初は、英単語2000個と中学レベルの文法から始めました。英単語を覚えるのに大事なことは、やっていくうちに毎日繰り返すことだとわかり、毎日少ない数でも英単語帳を見ていました。今では単語帳1冊は完璧です!

そして、高校3年生の1月くらいから本格的にTOEFL突破に向けての英語学習を週5で開始しました。最初は何が書いてあるかわからず、本当にTOEFLで点数を取れるか不安でした。しかし勉強を重ねるにつれて、自分に向いた効率のいい勉強方法を見つける事ができ、英語力を一気に伸ばすことができました。大事なことは、週5回ある岡野さんとの勉強に加え、夜や休みの勉強がない空いた時間にどのようなことを繰り返すかが、英語をさらに伸ばすキーになってくると分かりました。

これは野球のスキルを伸ばす時も一緒で、英語の勉強で時間が潰れる中短い時間でどのようにスキルアップしていくかを考え、それを実際に身につけるまで繰り返すことが非常に大切だと思いました。またTOEFLで点数を45点取った後は、英語の勉強は週2回程度になり、今度は田久保さんとも週2回程度で野球を始め、アメリカで長いシーズンを戦えるような体づくりとバッティングの指導をしてもらっています。田久保さんから指導していただいていることがしっかり自分のものにできるように繰り返していきます。

この渡米前の英語と野球のトレーニングで、野球も勉強も共通していることが多く、「自分の能力を上げるための努力」がいかに大事かに気づかせていただき、留学してから勉強と野球の両方の結果で示れるように頑張ります。

留学中の目標と将来どんな自分になっていたいか?

まず、2年大学のCtirus Collegeで3割後半の打率を残します。野球と施設レベルが、トップクラスのD1、D2の大学に奨学金を多くもらって行くことが第一の目標です。勉強も同様で、GPA3.5以上をキープし、先輩たちが残している成績を残せるように頑張りたいです。最後に、自分は大学卒業して、バリバリ稼いで、留学をサポートしてくれた親へプレゼントができるようになりたいと思っています。野球留学を通して、自分を成長させて、働き出してもバリバリ活躍できる自分でいれるように頑張ります!

名前
Hayata Lee
出身高校
横浜隼人高校
進学先大学
College of Desert
学年
2022年留学
留学先
カリフォルニア州 

一言コメント

留学前の勉強と野球の練習の経験を生かし、勉強面でも常にGPA3.5以上残すことを意識していきます。

なぜ野球留学しようと思ったのか?

アメリカ留学をしようと思ったきっかけは中学生の時にアメリカに行ったことです。
その時にメジャーリーグのキャンプ地の施設や試合や練習をみてるの今までやってきた野球との違いに衝撃を受けいつか自分もアメリカで野球をやりたいと思うようになりました。
そして、高校卒業後実際にアメリカでプレーしている人やコーチングをしている方に話を聞き、より今までとは全く違う環境での野球に挑戦したいという気持ちが高まりました。

留学前の英語の勉強や野球の練習はどうだった?

英語の勉強を始めて数ヶ月は分からないことが多く中々点数が上がらず苦しんでいました。
4月から本格的に授業が始まってからは毎日繰り返す習慣ができ、他の生徒たちと教えあったりすることでもっと頑張ろうという気持ちになり点数を上げることができました。並行して野球の練習をやることで限られた時間で成長するためにはどのような練習をしたら良いのかや、毎日継続する大切さを学びました。
アメリカの大学は成績を残さないと練習に出れなくなってしまうので集中して行えた3ヶ月間は留学生活で活きてくると思いました。

留学中の目標と将来どんな自分になっていたいか?

大学卒業後にドラフトされるのが今の私の目標です。そのためにまずコミュニティカレッジ卒業後D1の大学に奨学金付きで編入出来るよう結果を残します。
留学前の勉強と野球の練習の経験を生かし、勉強面でも常にGPA3.5以上残すことを意識していきます。

名前
Tsubasa Kuribayashi
出身高校
長野高校
進学先大学
Monterey Peninsula College
学年
2022年留学
留学先
カリフォルニア州

一言コメント

大学野球のシーズンを通して3割後半のアベレージを残し地区で個人的に表彰され、また勉強面でも3.5以上のGPAを残し、NCAAのD1の大学でプレーすることが今の目標です。

なぜ野球留学しようと思ったのか?

自分が渡米しようと思ったのは、ベースボールの本場であるアメリカで活躍して、メジャーリーガーになるために野球留学が1番近道だと思ったからです。自分は体が小さいのですが、MLBでも体が小さい選手が活躍しているのを知り、高校の時に本格的にトレーニングを開始して、自分のバッティングやプレーが大きく変わり、よりアメリカの野球への憧れが強くなっていきました。

留学前の英語の勉強や野球の練習はどうだった?

渡米前の英語学習ですが、とにかく言われた宿題を必ずこなすことを優先に毎日繰り返して勉強する時間を作っていきました。一つ工夫として、英語が少しでもうまくなるように、外国人にも積極的に話しかけにいきました笑。TOEFLに関しては、ちゃんと言うことを聞いてやっていれば必ず目標の点にいけると改めて感じました。最後に64点まで伸ばすことができました。

留学中の目標と将来どんな自分になっていたいか?

野球は、渡米前プログラムで、田久保コーチとの練習を毎日やっていき課題を見つけて、克服していくように心がけていました。また、MLBマイナーでプレー経験のある根鈴道場に行って基礎からアメリカ人と対等に戦うための筋トレやバッティング理論も学びました。大学野球のシーズンを通して3割後半のアベレージを残し地区で個人的に表彰され、また勉強面でも3.5以上のGPAを残し、NCAAのD1の大学でプレーすることが今の目標です。D1に行った後はWorld series に出て、活躍しメジャーのドラフトにかかることが将来の目標です。自分で決めた目標に向けて、とことん頑張りたいと思います!

名前
Shodai Nishihara
出身高校
藤沢西高等学校
進学先大学
North Central Missouri College
学年
2022年留学
留学先
ミズーリ州

一言コメント

今打ち込んでいる野球と勉学でまずは結果を出すためにアメリカへ行きます。そしてそれがNCAAのDivisionの大学へ行き活躍をすることです。

なぜ野球留学しようと思ったのか?

自分は元々野球部だから勉強は苦手だ、勉強が出来ないほど野球に打ち込んでいる等といった考えに疑問を抱いていました。そんな中アメリカの大学野球の話を聞いて野球が強い大学ほど勉強でも有名な大学が多いと言う環境や選手に強い憧れを抱き当時通っていた大学を中退してアメリカへ行くことを決断しました。

留学前の英語の勉強や野球の練習はどうだった?

英語の勉強や野球の練習はとにかく自分で期限と目標を定めて絶対に達成するようにしていました。求められているのは過程ではなく結果なのでとにかくそこにこだわりました。もちろん中には達成できないものもありました。その時にはその理由を必ず突き止め新しく決めた期限で達成するようにしました。英語も野球も正しく過程を辿れば必ず結果が出ました。TOEFLでも同様に目標を達成することが出来ました。

留学中の目標と将来どんな自分になっていたいか?

将来の目標は結果が出せる人間になることです。具体的にどんな結果を出したいかはまだ明確に決まっていませんが、その過程として今打ち込んでいる野球と勉学でまずは結果を出すためにアメリカへ行きます。そしてそれがNCAAのDivisionの大学へ行き活躍をすることです。この半年間で教わり実現してきた結果を出し続ける事、その過程を追うことを継続してアメリカで良い大学へ進学できるように精進します。

名前
Tomoki Jisiukawa
出身高校
東海大学北海道高校
進学先大学
Indian Hills Community College
学年
2022年留学
留学先
アイオワ州 

一言コメント

野球をやりながら、アメリカの大学を卒業は当たり前にして、卒業した後にプロになる事を目指して頑張りたいと思います。

なぜ野球留学しようと思ったのか?

私は、高校野球をしていた時にトレーニングが中距離や長距離のランばかりでキツイ思いをしたのに、あまり成長している実感が無く、理にかなったトレーニングや指導を受けたいと思って、データや理論に基づいたトレーニングや指導をしているアメリカに行こうと思いました。さらに過度な上下関係や指導者が選手に対する行動に違和感を感じたのがきっかけでした。

留学前の英語の勉強や野球の練習はどうだった?

英語を始めた時は、正直いうと、問題を解いてもわかる問題が何一つありませんでした。しかし、平日毎日教えてもらったり、繰り返し勉強する中で、英語で説明できるようになったり、ライティングでも自分で言いたいことが理由づけで説明できるようになり、夏前にはTOEFLの問題もかなり解ける問題も増えました。TOEFLでは、43点まで上げることができました。渡米前の野球の指導も、アメリカなどでプレーをしていたコーチに定期的に教わり沢山の知識や考え方、トレーニングなど学ぶ事ができ、英語と野球どちらも成長できたことが自分でも感じられました。

留学中の目標と将来どんな自分になっていたいか?

自分の留学中の目標は、まずはD1の大学に編入出来るように93マイルを投げれるようにするのと、リーグ戦で防御率を1点台を残し、勉強面ではGPAで3.3以上とることが目標です。編入をしてからは95マイル以上を投げリーグ戦で活躍して、アメリカの大学を卒業は当たり前にして、卒業した後にプロになる事を目指して頑張りたいと思います。

名前
Haruki Nakano
出身高校
青森県立名久井農業高校
進学先大学
West Hills Community College
学年
2023年留学
留学先
カリフォルニア州

一言コメント

アメリカではとにかく結果を出す事にこだわるのと結果を出す為に何をすれば良いのかを常に考えて生活していきたいと思います。

なぜ野球留学しようと思ったのか?

高校や大学まで野球中心の生活で、勉強もできない野球の成績も残せないでいました。このまま社会に出ても、自分はなんの取り柄もなく何もできないと思い、まずは英語を学び、使えるようになりたいと思いました。そこで英語を学びながら、自分のやってきた野球を、野球の本場であるアメリカで野球をやりたいと思うようになってきました。アメリカの大学では、日本の大学とは違い、野球も勉強も文武で結果を出さないと良い大学に行けないという現実があり、今までの自分を変えるため厳しい環境に身を置き、野球も、勉強も、英語も身につけると決め、野球留学を決断しました。

留学前の英語の勉強や野球の練習はどうだった?

英語はほぼゼロからのスタートで最初の1ヶ月は全然分かりませんでした。しかし毎日諦めず勉強して、4ヶ月目の2回目のTOEFLで49点をとる事が出来、自分で決めた目標をクリアしました。
そのために、毎日の課題とその日にやった復習を何度も繰り返し、英語のルールである文法を一から勉強し直すこと、そして空き時間の電車の移動で英単語をひたすら見返しました。また、自分は根性には自信があり、諦めず勉強することができました。「根性にプラスで頭を使う事」で効率良く勉強できるように頑張りました。野球も勉強と同じで、練習を長時間やるのではなく自分の弱点を見つけて克服する事に力を入れました。少ない時間の中で密度の濃い練習を心がけ、この半年間で野球も英語もレベルアップしたという実感を得ています。

留学中の目標と将来どんな自分になっていたいか?

留学してからでは、勉強と野球でどちらも良い結果を出して、返済不要の奨学金をたくさん貰い、4年制大学に編入できるように頑張ります。まずは勉強面でGPA3.5以上、野球もチームで一番の打率を残してNCAAのD1の大学に行けるよう頑張ります。
そして、将来の目標はまだ具体的には決まっていませんが、仕事で結果を出せてお金を稼げる人間になりたいです。なのでアメリカではとにかく結果を出す事にこだわるのと結果を出す為に何をすれば良いのかを常に考えて生活していきたいと思います。