- 名前
- Hikaru Mikami
- 出身高校
- 船橋高校
- 進学先大学
- North Central Missouri College
- 学年
- 2024年留学
- 留学先
- ミズーリ州
一言コメント
たとえどんな選択をするとしても、「アメリカでの4年間を全力で過ごすこと」が何より大事になると思います。そして、どんな選択をしたとしても社会に良い影響を与えられるような人間になりたいです。
なぜ野球留学しようと思ったのか?
もともと将来の夢があって行きたい学部があったが受かる気がせず、高校2年生のうちに諦めてしまいました。大学に行くつもりで考えていましたが、特にやりたいことも見つけられなかった中で、アメリカへの野球留学の存在を知りました。もともとメジャーリーグの試合を見たりするのも好きだったし、他人と違う経験と武器を身につけられるかもしれないと思ってアメリカの大学に行く事を決意しました。
留学前の英語の勉強や野球の練習はどうだった?
両親にアメリカの大学に行きたいと言っても本気にしてもらえず、高校野球を引退してから2〜3ヶ月くらいは中途半端に受験勉強をしていました。野球に関してもあまりやれず、11月に肘の手術をしてから結局年明け2月くらいまでほとんどボールを投げませんでした。
実は、学校では英語はいつも赤点でしたが、岡野さんとみんなより早い段階でTOEFLの対策を始めて12月には56点を取れました。ただ、そこでなんとなく慢心してしまい3月のテストではなんとかMy Best Scoreで61点とあまり伸びませんでした。
2回目のTOEFLが終わった頃から田久保コーチのレッスンを受けたり、週2回の八千代球場での練習がスタートしました。最初は、股関節と肩関節をうまく使えるようにすること、ちゃんと走り込むこと、というシンプルなテーマの練習からスタートして、だんだんピッチング等もするようになりました。今では、部活動引退後から英語学習期間も継続的に運動するべきだったと強く思います。そして、英語学習期間でも野球の練習を続けるためにはある程度合格が見込める英語力が必要です。どちらか片方だけ集中的にやっても効果は薄いので、千葉に来てからではなく、アメリカに行くんだと決めたその日から英語も野球も全力で取り組んでください。個人的な英語学習のコツは、TOEFLのspeaking問題を例にすると、自分の回答はもちろん、読まれてる問題文も全て暗記するまで音読することです。
留学中の目標と将来どんな自分になっていたいか?
短大で文武ともに成績を残す。とにかく安定して登板の機会を得られるようになること、GPAは3.8以上を必ずとることをまずは達成したいです。4年制大学への編入ではD1の名門の大学、あるいは大型奨学金付きのD2の大学、どちらも目指せるような選手、学生になりたいです。
卒業後は、一度諦めた夢を追いかけるか別の道に進むか可能性は無限にあると思っています。卒業するまでの4年間の中でたくさんのことを学んでたくさんの人に話を聞いて進路選択したいです。たとえどんな選択をするとしてもアメリカでの4年間を全力で過ごすことが何より大事になると思います。そして、どんな選択をしたとしても社会に良い影響を与えられるような人間になりたいです。
- 名前
- Kotaro Kuwatani
- 出身高校
- 東海大札幌高校
- 進学先大学
- College of the Canyons
- 学年
- 2024年留学
- 留学先
- カリフォルニア州
一言コメント
社会というフィールドに出た時に、人の上に立てる様な人間、世界で必要とされる人間になれるよう、アメリカという環境の中で、文武に頑張ってきたいと思います。
なぜ野球留学しようと思ったのか?
私が野球留学をしようと思った理由は、私の夢であるメジャーリーガーになるために一番近い選択だと考えたからです。そして、アメリカ人(外国人)投手の投げる球に対しての打席内でのアプローチの仕方やスイングについて、データや理論に基づいた指導を受けたいと考えました。また、アメリカの大学へ留学することによって、日本では学ぶことのできない実用的な英語を身につけ、自分の関心のある分野の勉強をしながら、未来の仕事の選択肢を広げることができると考えたからでした。
留学前の英語の勉強や野球の練習はどうだった?
私は小学4年生から中学3年生まで英語塾に通っており、英語は好きで、そんなに苦労しないだろうと思っていました。しかし、初めてTOEFLの問題文を見た時、自信が不安に、余裕が焦りに変わりました。岡野さんから課された課題をきちんとこなすことは当たり前のこと、プラスαで何をするかを考えて勉強しました。もちろん「熱心」に勉強していたつもりでしたが、思うように点数は伸びませんでした。2回目のテストで点数は大幅に上がりましたが、目標点に届かず、3回目のテストまでの18日間は1日10時間〜15時間、「必死」に英語の勉強に励みました。しかし、「必死」になるのが遅かったため、自分の目標の61点にはあと2点届かずに悔しい結果で終わりました。
野球面では、英語の勉強やアルバイトなど他にもやる事が多い中で、自分の課題を明確にし、その課題を徹底的に潰すこと、また、アメリカの大学野球の環境を意識して、短時間で集中して取り組むことを念頭において練習に取り組みました。週に2回のグラウンドでの練習では、田久保コーチからのご指導のおかげで守備、打撃の技術面で大きく成長する事ができたと感じています。また、4年間の野球留学を成功させるためにはどんな力が必要なのか、また留学前に日本にいる間に何をするべきなのかなど、技術面以外の助言も沢山いただき、留学1年目に向けてしっかり準備することができたと思います。
留学中の目標と将来どんな自分になっていたいか?
アメリカ大学野球最高峰のリーグNCAA Division 1の大学に奨学金付きで編入することです。もし野球で成績が残せなかった場合も、学業の方で奨学金がもらえるように勉強でも一緒に頑張ります。自分の掲げる目標のためには、どちらも安定して結果を出し続けることしかないので、常に目指す結果から、普段の過程を大事にしながら、野球も勉強もとことん打ち込んでいきたいです。そして大学4年次にMLBドラフトで指名されることが、最終的かつ大きな目標です。また、社会というフィールドに出た時に、人の上に立てる様な人間、世界で必要とされる人間になれるよう、アメリカという環境の中で、文武に頑張ってきたいと思います。
- 名前
- Haon Tanaka
- 出身高校
- 青森山田高校
- 進学先大学
- Indian Hills Community College
- 学年
- 2024年留学
- 留学先
- アイオワ州
一言コメント
日々の積み重ねに細部までこだわって「やれることはすべてやった」と胸を張ることができる4年間にしたいと思います。
なぜ野球留学しようと思ったのか?
私がアメリカの大学へ野球留学しようと決めた理由は、他人と差別化のできる強みを持つためです。私は高校まで勉強をほとんどせず、野球に打ち込んできましたが、全く結果を残すことができませんでした。幼少期から他人と同じであること、目立てていないことが嫌だという気持ちがあり、自分の将来を考えたときに現状の先にある人生は満足できるものではないと思いました。ですが、大学留学という圧倒的に差別化のできる経験は、最大限努力することで必ず強みを持つことができると考えるようになりました。
留学前の英語の勉強や野球の練習はどうだった?
留学前の英語の勉強は、10月は青森駅で、そして1月から平日は毎日授業があり、そして帰宅後の課題もあるため、自制と習慣化が苦手な自分でも必ず毎日十分な量の英語に触れることを意識して過ごすことができました。。毎日、思考が停止するくらいまで頭を使って繰り返すことで、自分のキャパシティが「自分が決めた思い込み」であったことを痛感しました。自分は、他のみんなより1か月長く勉強をしたのですが、その間も岡野さんにマンツーマンでサポートしていただき、最終的に留学前の目標点であったTOEFL45点をこえ、1回目で48点をとることができました。「英語は筋トレ」で、誰でもできるようになることを身をもってわかることができました。
野球の練習は、田久保コーチのもと、週2回の球場のグランド練習があるため、投げ始めは3割くらいからスタートして、ゆっくり調整しながらでも余裕をもって準備することができました。高校の夏の大会を終え、そして4月までの勉強で運動量が落ちてしまっているところを、田久保コーチのハードワークで締め戻してもらえたり、なかなか個人では取り組まないけど必要なメニューを行うことは、集団練習のメリットだと思いました。また、高校野球引退から丸1年の準備期間があるため、自分のウィークポイントにかける時間を十分にとることができました。まだ渡米まで時間もあるので、英語、野球とバイトに時間をかけ、留学してからいいスタートが切れるように頑張りたいと思います。
留学中の目標と将来どんな自分になっていたいか?
野球留学での目標は、1,2年目で活躍し、大型奨学金でD1に進学すること、MLBにドラフトされること、いずれかは日本人で初めてサイヤングを取りたいと思っています。そのために野球だけでなく、勉強も人一倍取り組みます。ハードな目標をめざす中で、甘えは一切許されないと思います。日々の積み重ねに細部までこだわって「やれることはすべてやった」と胸を張ることができる4年間にしたいと思います。
- 名前
- Yukihiro Kimura
- 出身高校
- 愛知産業大学工業高校
- 進学先大学
- Citrus College
- 学年
- 2024年留学
- 留学先
- カリフォルニア州
一言コメント
高いレベルの野球で活躍し結果を残し続け、今までの日本人の歴史やイメージを変えていきたいと思います。
なぜ野球留学しようと思ったのか?
私は、去年の7月に3年間の高校野球が終わりました。高校最後の大会が終わり、最初は、日本の大学へ進学をして、大学野球をしようと考えていました。しかし、いざ行く大学を選ぶ時に、自分の中で日本の大学野球がパッとせずに悩んでいました。そこで、たまたま広告でアメリカの大学野球留学の存在を知って、色々調べたりした結果、私はアメリカの大学で野球がしたいと思い、8月のセレクションを受け、アメリカの大学へ野球留学を決意しました。
留学前の英語の勉強や野球の練習はどうだった?
私の通っていた高校は、県の中でも頭は全然良くなく、その中でずっと野球しかしていなかったので、勉強なんてした事もなく勉強のやり方もわかりませんでした。英語も何からやっていいか全くわからないところからのスタートでした。10月からは名古屋で、1月からは千葉県の八千代にあるシェアハウに住んで、人生で初めての英語漬けの日々がスタートしました。岡野さんに勉強のやり方やスケジュールの立て方、そして英単語の覚え方や英文法のルールなどを、全て1から教えていただいて、人生で初めて勉強を継続していました。初めは、全然わからなく、正直、とても勉強が苦で、英単語もとてつもない量の単語があって本当にできるのかと不安でした。しかし、毎日英単語を覚えたり、岡野さんに教えていただいたやり方で英語を勉強したりした結果、今では単語帳1冊分完璧に覚え、英文法の使って表現する方法、自分の意見を理由と詳細を英語で説明したり、英語のライティングでパソコンを使って、200-300字以上をかけるようになる事ができました。
4月に英語のレベルを突破したことで、野球の練習とバイトをスタートさせました。野球面では、高校野球を終え、ほとんど体を動かしていないところからのスタートでした。ちょっとずつ練習とトレーニングをしながら、田久保コーチに自分の課題などの改善方法を体のメカニズムからわかりやすく教えていただきました。特に動作に対する体の使い方を知り、今までどうすれば良くなるかわからなかった事などがダメな理由などをわかりやすく教えていただいたことは大きかったです。また、個別でも田久保コーチの空いてる時間で自分の課題に取り組み、どんどん改善して行くことができました。
学ぶ大切さと、繰り返して自分のものにしていくという大事なことを身をもって体験でき、成長を感じた半年でした。
留学中の目標と将来どんな自分になっていたいか?
私は、初めに、二年制大学で打率4割を打ち、持ち前の勝負強い打撃でチームの打撃の軸になる事を目指します!そして、勉強ではGPA3.5以上を目指します。そして、レベルの高いNCAAのD1の大学へたくさんの奨学金を貰って行きます。そしてD1でも高いレベルの野球で活躍し結果を残し続け、今までの日本人の歴史やイメージを変えていきたいと思います。
- 名前
- Teruki Kato
- 出身高校
- 東海大学付属札幌高等学校
- 進学先大学
- West Hills College
- 学年
- 2024年留学
- 留学先
- カリフォルニア州
一言コメント
留学中には、自分は常に活躍できる選手になる事が今の目標です。なぜなら恩返しがしたいからです。
なぜ野球留学しようと思ったのか?
それは高校野球にありました。最後の夏の甲子園に繋がる大会自分はメンバーとしてチームに貢献するつもりでした。ですがまさかの事態が起こりました。それが初戦負け。さらに自分の最終打席は代打で、バントという最悪の形で終わってしまいました。3年間の努力と毎日の練習そして、数え切れないぐらいバットを振った高校野球はこうして幕を閉じました。その時は野球が少し吹っ切れたような感じにもなりました。ですが、自分は、「この経験があったからこそ次は新しいことをしよう!」という前向きに考えるようにし、野球留学した先輩からの声からアメリカの大学で野球がしてみたいと思うようになっていきました。
そこで、まず自分が選んだのは勉強の中で1番苦手な英語でした。この先英語が出来たら少なくとも社会のフィールドに立った時に失敗はしないだろうと思ったからです。さらに野球をして、まだまだ上を目指したいという強い気持ちと、野球を通してこれからも世界中のたくさんの色んな人達と出会って、人生を楽しみたいという気持が自分の思いにはありました。この事から自分は本気で野球留学を決意しました。
留学前の英語の勉強や野球の練習はどうだった?
英語の勉強は野球を引退してからの8月から、初めて英語をスタートさせました。最初は、主語と動詞すらも分からなかったので、中学校の英文法から始めました。9月になると岡野さんが北海道まで足を運んでくれ、TOEFLに向けた勉強がスタートしました。初めて問題を渡され、その時に見た瞬間は「ほんとにやばい」と言う焦りの気持ちでいっぱいでした。ですが、野球留学で頑張りたいと決めて、そこから自分は毎日毎日、単語と文法、そしてTOEFLの対策問題をとにかくやり続けました。
高校3年生の1月に入ると、野球留学に行くみんなと合流し、田久保コーチのシェアハウスに住みながら、本当に毎日毎日、切磋琢磨しながら英語の勉強に励みました。英単語、英文法、英語でスピーキングの練習、訳す練習、リスニングにリーディングと、何度も繰り返し、本当に大変でしたが、辛い時はお互い励まし合い、分からないことがあったら試行錯誤をかさねて答えを導く。ときには寝れない日もありました。でも人生で一番勉強をしたというくらい英語を頑張りました。プラスして自分は北海道から千葉に来てから毎日神社にも行きました雨の日もどんな日も祈ることをやめませんでした。結果として、なんと1回目のTOEFLの試験を受け、自分が最初から目標にしていた45点をとる事が出来ました。神社の効果もあるかもしれません(笑)。この英語学習で、目標を決め、そこに向けて毎日やり続ける事の大切さ、自分の意見をうまく伝えるための文の構成や深み、そして岡野さんの指導により突破することが出来ました。
そして、ちょうど3月末に英語を突破してからは、球場や室内の練習場を使った野球の練習とバイトの生活をスタートしていきました。田久保コーチに、ピッチングやバッティング、そして野球への取り組みや考え方についてご指導いただきました。田久保コーチからは、アメリカのプレースタイルや打ち方、自分の良いところとダメな点を明確に伝えてくれ、そこから自分で考え常に試行錯誤を重ねながら練習に励みました。さらに、練習のない日にも、筋トレやランニングをして自分でメニューをつくりやるようにしていました。バイトも、お金の大切さやお金を稼ぐ大変さがわかり、野球とバイトと時間を意識して過ごしました。これらの経験から、留学中の頑張りにもつなげていきたいと思います。
留学中の目標と将来どんな自分になっていたいか?
留学中には、自分は常に活躍できる選手になる事が今の目標です。なぜなら恩返しがしたいからです。常に活躍できれば、今まで関わってきた人達全員に恩返しが出来ると思うし、良い報告をすればみんな喜ぶ。日本人が活躍することによって野球をしたいと思ってくれる子が多くなるかもしれないからです。自分の目標に向けて、アメリカの大学野球で文武に頑張って来たいと思います。
- 名前
- Tetsu Nakamura
- 出身高校
- 関東一高校
- 進学先大学
- Citrus College
- 学年
- 2023年留学
- 留学先
- カリフォルニア州
一言コメント
自分は大学卒業して、バリバリ稼いで、留学をサポートしてくれた親へプレゼントができるようになりたいと思っています。
なぜ野球留学しようと思ったのか?
自分は、高校三年生の夏くらいまでは野球を続けようというモチベーションが全くなくて、日本の大学にも行く気はありませんでした。しかし、そんな時に母からアメリカ留学を提案され、調べていくうちに「アメリカで野球をやってみたい!」と思い始め、相談し、野球留学に行くことを決めました。
決めた理由は、まず一つ目に、日本の野球では、1年生から色々な縛りがあり、雑用や試合に出れないことも多くあることを先輩からも聞いていて、自分がやりたいと思えなかったからでした。一方で、アメリカの大学野球を見た時に、シビアであるのはわかるのですが、アメリカの大学の選手は1年から試合に出ることができ、みんなすごく真剣に、楽しそうにやってるのがすごく印象に残りました。2つ目は野球の環境がとてもすごく誰しもが憧れる環境でやっているのを見て、自分もこの環境で野球をやりたいと思いました。そして自分もここで野球をやり切りたいと思い留学を決意しました。
留学前の英語の勉強や野球の練習はどうだった?
自分が英語の勉強を始めたのは、高校野球を8月に引退して少し経った10月あたりから週2くらいで勉強をスタートしました。検索で調べれるのですが、自分が所属する高校のスポーツコースの偏差値は40もないと思います。しかも学校が4時間で終わり、そのあと練習へ行くため、まともに勉強をしたことがありませんでした。
「英語が最初は得意だ」となぜか自信をもっていましたが、初めてTOEFLのテストの問題を見た時、「やべー全然わからない・・・」とショックを受けましたが、いい意味でこれできるようになったらかっこいいと思いました。最初は、英単語2000個と中学レベルの文法から始めました。英単語を覚えるのに大事なことは、やっていくうちに毎日繰り返すことだとわかり、毎日少ない数でも英単語帳を見ていました。今では単語帳1冊は完璧です!
そして、高校3年生の1月くらいから本格的にTOEFL突破に向けての英語学習を週5で開始しました。最初は何が書いてあるかわからず、本当にTOEFLで点数を取れるか不安でした。しかし勉強を重ねるにつれて、自分に向いた効率のいい勉強方法を見つける事ができ、英語力を一気に伸ばすことができました。大事なことは、週5回ある岡野さんとの勉強に加え、夜や休みの勉強がない空いた時間にどのようなことを繰り返すかが、英語をさらに伸ばすキーになってくると分かりました。
これは野球のスキルを伸ばす時も一緒で、英語の勉強で時間が潰れる中短い時間でどのようにスキルアップしていくかを考え、それを実際に身につけるまで繰り返すことが非常に大切だと思いました。またTOEFLで点数を45点取った後は、英語の勉強は週2回程度になり、今度は田久保さんとも週2回程度で野球を始め、アメリカで長いシーズンを戦えるような体づくりとバッティングの指導をしてもらっています。田久保さんから指導していただいていることがしっかり自分のものにできるように繰り返していきます。
この渡米前の英語と野球のトレーニングで、野球も勉強も共通していることが多く、「自分の能力を上げるための努力」がいかに大事かに気づかせていただき、留学してから勉強と野球の両方の結果で示れるように頑張ります。
留学中の目標と将来どんな自分になっていたいか?
まず、2年大学のCtirus Collegeで3割後半の打率を残します。野球と施設レベルが、トップクラスのD1、D2の大学に奨学金を多くもらって行くことが第一の目標です。勉強も同様で、GPA3.5以上をキープし、先輩たちが残している成績を残せるように頑張りたいです。最後に、自分は大学卒業して、バリバリ稼いで、留学をサポートしてくれた親へプレゼントができるようになりたいと思っています。野球留学を通して、自分を成長させて、働き出してもバリバリ活躍できる自分でいれるように頑張ります!
- 名前
- Hayata Lee
- 出身高校
- 横浜隼人高校
- 進学先大学
- College of Desert
- 学年
- 2022年留学
- 留学先
- カリフォルニア州
一言コメント
留学前の勉強と野球の練習の経験を生かし、勉強面でも常にGPA3.5以上残すことを意識していきます。
なぜ野球留学しようと思ったのか?
アメリカ留学をしようと思ったきっかけは中学生の時にアメリカに行ったことです。
その時にメジャーリーグのキャンプ地の施設や試合や練習をみてるの今までやってきた野球との違いに衝撃を受けいつか自分もアメリカで野球をやりたいと思うようになりました。
そして、高校卒業後実際にアメリカでプレーしている人やコーチングをしている方に話を聞き、より今までとは全く違う環境での野球に挑戦したいという気持ちが高まりました。
留学前の英語の勉強や野球の練習はどうだった?
英語の勉強を始めて数ヶ月は分からないことが多く中々点数が上がらず苦しんでいました。
4月から本格的に授業が始まってからは毎日繰り返す習慣ができ、他の生徒たちと教えあったりすることでもっと頑張ろうという気持ちになり点数を上げることができました。並行して野球の練習をやることで限られた時間で成長するためにはどのような練習をしたら良いのかや、毎日継続する大切さを学びました。
アメリカの大学は成績を残さないと練習に出れなくなってしまうので集中して行えた3ヶ月間は留学生活で活きてくると思いました。
留学中の目標と将来どんな自分になっていたいか?
大学卒業後にドラフトされるのが今の私の目標です。そのためにまずコミュニティカレッジ卒業後D1の大学に奨学金付きで編入出来るよう結果を残します。
留学前の勉強と野球の練習の経験を生かし、勉強面でも常にGPA3.5以上残すことを意識していきます。
- 名前
- Tsubasa Kuribayashi
- 出身高校
- 長野高校
- 進学先大学
- Monterey Peninsula College
- 学年
- 2022年留学
- 留学先
- カリフォルニア州
一言コメント
大学野球のシーズンを通して3割後半のアベレージを残し地区で個人的に表彰され、また勉強面でも3.5以上のGPAを残し、NCAAのD1の大学でプレーすることが今の目標です。
なぜ野球留学しようと思ったのか?
自分が渡米しようと思ったのは、ベースボールの本場であるアメリカで活躍して、メジャーリーガーになるために野球留学が1番近道だと思ったからです。自分は体が小さいのですが、MLBでも体が小さい選手が活躍しているのを知り、高校の時に本格的にトレーニングを開始して、自分のバッティングやプレーが大きく変わり、よりアメリカの野球への憧れが強くなっていきました。
留学前の英語の勉強や野球の練習はどうだった?
渡米前の英語学習ですが、とにかく言われた宿題を必ずこなすことを優先に毎日繰り返して勉強する時間を作っていきました。一つ工夫として、英語が少しでもうまくなるように、外国人にも積極的に話しかけにいきました笑。TOEFLに関しては、ちゃんと言うことを聞いてやっていれば必ず目標の点にいけると改めて感じました。最後に64点まで伸ばすことができました。
留学中の目標と将来どんな自分になっていたいか?
野球は、渡米前プログラムで、田久保コーチとの練習を毎日やっていき課題を見つけて、克服していくように心がけていました。また、MLBマイナーでプレー経験のある根鈴道場に行って基礎からアメリカ人と対等に戦うための筋トレやバッティング理論も学びました。大学野球のシーズンを通して3割後半のアベレージを残し地区で個人的に表彰され、また勉強面でも3.5以上のGPAを残し、NCAAのD1の大学でプレーすることが今の目標です。D1に行った後はWorld series に出て、活躍しメジャーのドラフトにかかることが将来の目標です。自分で決めた目標に向けて、とことん頑張りたいと思います!
- 名前
- Shodai Nishihara
- 出身高校
- 藤沢西高等学校
- 進学先大学
- North Central Missouri College
- 学年
- 2022年留学
- 留学先
- ミズーリ州
一言コメント
今打ち込んでいる野球と勉学でまずは結果を出すためにアメリカへ行きます。そしてそれがNCAAのDivisionの大学へ行き活躍をすることです。
なぜ野球留学しようと思ったのか?
自分は元々野球部だから勉強は苦手だ、勉強が出来ないほど野球に打ち込んでいる等といった考えに疑問を抱いていました。そんな中アメリカの大学野球の話を聞いて野球が強い大学ほど勉強でも有名な大学が多いと言う環境や選手に強い憧れを抱き当時通っていた大学を中退してアメリカへ行くことを決断しました。
留学前の英語の勉強や野球の練習はどうだった?
英語の勉強や野球の練習はとにかく自分で期限と目標を定めて絶対に達成するようにしていました。求められているのは過程ではなく結果なのでとにかくそこにこだわりました。もちろん中には達成できないものもありました。その時にはその理由を必ず突き止め新しく決めた期限で達成するようにしました。英語も野球も正しく過程を辿れば必ず結果が出ました。TOEFLでも同様に目標を達成することが出来ました。
留学中の目標と将来どんな自分になっていたいか?
将来の目標は結果が出せる人間になることです。具体的にどんな結果を出したいかはまだ明確に決まっていませんが、その過程として今打ち込んでいる野球と勉学でまずは結果を出すためにアメリカへ行きます。そしてそれがNCAAのDivisionの大学へ行き活躍をすることです。この半年間で教わり実現してきた結果を出し続ける事、その過程を追うことを継続してアメリカで良い大学へ進学できるように精進します。
- 名前
- Tomoki Jisiukawa
- 出身高校
- 東海大学北海道高校
- 進学先大学
- Indian Hills Community College
- 学年
- 2022年留学
- 留学先
- アイオワ州
一言コメント
野球をやりながら、アメリカの大学を卒業は当たり前にして、卒業した後にプロになる事を目指して頑張りたいと思います。
なぜ野球留学しようと思ったのか?
私は、高校野球をしていた時にトレーニングが中距離や長距離のランばかりでキツイ思いをしたのに、あまり成長している実感が無く、理にかなったトレーニングや指導を受けたいと思って、データや理論に基づいたトレーニングや指導をしているアメリカに行こうと思いました。さらに過度な上下関係や指導者が選手に対する行動に違和感を感じたのがきっかけでした。
留学前の英語の勉強や野球の練習はどうだった?
英語を始めた時は、正直いうと、問題を解いてもわかる問題が何一つありませんでした。しかし、平日毎日教えてもらったり、繰り返し勉強する中で、英語で説明できるようになったり、ライティングでも自分で言いたいことが理由づけで説明できるようになり、夏前にはTOEFLの問題もかなり解ける問題も増えました。TOEFLでは、43点まで上げることができました。渡米前の野球の指導も、アメリカなどでプレーをしていたコーチに定期的に教わり沢山の知識や考え方、トレーニングなど学ぶ事ができ、英語と野球どちらも成長できたことが自分でも感じられました。
留学中の目標と将来どんな自分になっていたいか?
自分の留学中の目標は、まずはD1の大学に編入出来るように93マイルを投げれるようにするのと、リーグ戦で防御率を1点台を残し、勉強面ではGPAで3.3以上とることが目標です。編入をしてからは95マイル以上を投げリーグ戦で活躍して、アメリカの大学を卒業は当たり前にして、卒業した後にプロになる事を目指して頑張りたいと思います。